976号 労働判例 「富士ゼロックス事件」
              (東京地裁 平成23年3月30日 判決)
懲戒解雇を示唆されての退職の意思表示が錯誤により無効とされた事例
退職の意思表示と錯誤による無効
 〈事実の概要〉
 本件は、Y社の従業員であったX(原告)が、実際の出退勤時間と異なる勤怠IDに不正入力し、勤務時間について虚偽の申告を行い、早出・残業手当を過剰に受給した(「本件逆転入力」)し、 さらに、事実と異なる外出旅費および通勤交通費を過剰に受給した(「本件二重請求」)ことにつき、Y(被告)から懲戒解雇を示唆されて退職の意思表示を行った後で、その意思表示が錯誤により無効である等と主張して、雇用契約上の地位にあることの確認、本件退職の意思表示以降の賃金・賞与等を求めて訴えを提起したものである。
 Yでは、勤務場所への入退館は、読取り機械に社員証をかざすという方法をとっていたが、それにより入館・退館の時刻が記録される仕組みになっていた。その一方で、勤務時間の管理は、従業員が自席のパソコンを用いて、社内のネットワークの勤怠システムにアクセスして出退勤時間を入力するという方法が採られていた(これがYの経理システムと連動していて、残業代等が計算される)。Xは、平成20年12月26日、午前10時18分頃に出社したが、午前9時31分と出勤時刻を虚偽入力した。Yの調査の結果、Xが入力した出勤時刻が入館時刻よりも早いものがいくつか見つかった。また、Yが旅費等について調査したところ、二重請求がいくつか見つかった(なお、前者の誤入力分1万1668円、二重請求分9420円は、後にYに返還されている)。
 Yの就業規則によれば、不正な方法により、出勤・退勤の時刻を偽って記録し、または報告した場合は懲戒解雇とすると規定されている(10条)。懲戒解雇された場合は、退職金は、原則として支給されない(同7条)。
 平成21年3月11日、Yが、Xに対して事情聴取を行ったが、その際、担当者に対してXは、辞めたくない、(可能であれば)信頼を回復したい等と述べたが、担当者は、「残りたいと言ってもストレートに自身の責任の取り方があるはず、お金を返すというレベルではない」「職を辞して懲戒解雇を避けたいのか、手続きを進めるのか」等と述べた。翌日の12日にXは、自主退職すると回答したが、同年5月15日、出勤停止処分(出勤停止30日)が示され、その言い渡しがなされた後、Xは退職届けを提出した(Yは、Xの行為は懲戒解雇に当たるところ退職して責任を取りたいということで出勤停止30日となったと主張)。
 その後、同年6月29日、Yに退職の意思表示の取消しとその通知を行っている。
 本件の争点は、退職の意思表示の効力の有無であるが、具体的には、それが錯誤により無効となるか、強迫によるもので取消しが可能かである。
 〈判決の要旨〉
 裁判所は、Yが懲戒解雇を有効になし得ないのであれば、Xは本件の退職の意思表示をしなかったものと認められるので、Yが有効に懲戒解雇をなし得なかった場合、Xが、自主退職しなければ懲戒解雇されると信じたことは、要素の錯誤に当たるとしたうえで、懲戒解雇事由の有無および相当性の有無を検討し、Xが、積極的にYを欺罔して金員を得る目的で勤怠の虚偽申告を行ったと認めることはできない、虚偽申告は戒告・減給事由に該当し、出勤停止事由にも当たるのに、これまでなんら懲戒処分がなされていない、他の従業員も出退勤時間をまとめて入力する例があり、Xのみが規律に違反していたわけではない、Yが出勤停止の懲戒処分事由とした過剰受給額は1万1668円と多額とは言えず、それも返済されている等として、懲戒解雇することは社会通念上相当とはいえないと判断している(なお、Xは、人事担当者、組合役員からも懲戒解雇が相当である旨の説明を受け、これを具体的に否定する説明を受けることができなかったとしてXの重過失を否定している)。結論として、Xの退職の意思表示は、錯誤により無効としている。

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