1124号 労働判例 「長野労働基準監督署長事件」
              (東京高裁 平成29年7月11日 判決)
観光バス運転手の脳出血の業務起因性が否定された事例
観光バス運転手の脳出血の業務起因性の有無

 解 説
 〈事実の概要〉

 本件は、観光バス会社S(訴外会社)において主として観光バス運転の業務に従事してきたAが脳出血により死亡したのは業務上の事由に基づくものであるとして、その配偶者A’(原告)が労災保険給付の不支給処分の取消を求めていた事件の控訴審である。
 Aは、Sの就業規則により1か月の変形労働時間制で就労してきたが(なお、会社が業務上必要と認めるときは労使協定の定めるところにより時間外勤務、休日勤務させることがあるとされていた)、Aは、平成20年8月5日、午前4時40分に出勤し、午前5時に出庫し、午前8時頃に東京(武蔵野)を出発し午後3時頃に長野(志賀高原)に到着する貸切バスの運転業務に従事した。Aは午後5時50分に入庫したが、その後体調を崩して嘔吐した。Aは、6日午前6時40分に出勤し、午前7時10分に出庫し、長野県(上田駅)から石川県、富山(金沢、輪島等)をめぐり長野県(上田駅)に戻る2泊3日の観光バスツアーの運転業務に従事し、8日午後9時50分に入庫したが、6日朝から頭痛を訴え、乗客が見学をしている空き時間には乗務員休憩所で横になるなどして休息を取っていた。8日からは食欲不振になった。7月14日・15日は休暇であったが、16日には、長野県から埼玉県までバスを運転する業務に従事し、17日からは2泊3日の草津・鬼怒川ロナンチック街道3日間のツアーの業務に従事した。17日からの前記ツアーにおいても後記の体調の急変が生じるまでは特に変わった様子は見られなかったが、8月19日午後、気分が悪くなり、一時停止場所で何度もエンストし、同乗していたバスガイドがAの様子がおかしいのに気がつき声をかけたところ、ろれつが回らなくなっていた。その後病院に救急搬送されたが、後に脳死状態と判断された。Aは11月30日に死亡。平成20年4月8日に受けた健康診断では、最高血圧が126oHg、最低血圧が84oHgで正常値であり、健康状態について特段の指摘はなかった。裁判所は、さまざまな医学所見等を参考にAの本件疾病について、医学的に脳動静脈奇形の破裂による出血の可能性が高いとしている。脳動静脈奇形について、業務による過重な負荷が加わることによって、その血管病変等が自然経過を超えて著しく増悪し破裂に至る可能性は否定できないとして、本件業務による負荷の程度を検討している。なお、原審も本件でAの業務起因性を否定していたためXが控訴。
 〈判決の要旨〉
 裁判所は、観光バス運転の途中に生じる空き時間(サービスエリア、見学地、昼食場所等での空き時間、会社は休憩時間として扱っている)について、使用者の指揮監督に服している時間とは認められないからこれを労働時間に当たるとはいえないとした上で、Aの業務は、本件疾病発症前約1か月についても、本件業務期間全体(約5か月)の労働時間の点からみて、業務と発症との関連性が弱いと評価できるものではないが、業務と発症との関連性が強いと評価できるものであったとは認められない、としている。また、専門検討委員会の報告書および認定基準が、拘束時間の長い勤務の過重性については、拘束時間中の実態、具体的には労働密度(実作業時間と手待時間との割合等)、業務内容、休憩・仮眠時間数、休憩・仮眠施設の状況(広さ、空調、騒音等)の観点から検討・評価することが妥当としていることから、これらの点についても検討しているが、Aは、大型観光バスや貸切バス等の運転手として約14年の経験を有していたことから、道もよく知っており、乗客の対応にも慣れており、バスガイドの要望にも柔軟に応じるなど余裕をもって運転業務を行っていた、としている。また、本件業務は、勤務の不規則性、深夜勤務があること、拘束時間が長いこと、宿泊を伴う勤務であること、精神的緊張を伴う勤務であることなどの負荷要因が認められるものの身体的、精神的負荷の程度については日常業務による身体的、肉体的負荷と比較して特に過重なものであったとは認められない、として業務起因性を否定している。
 観光バスや貸切バス等の運転手の「過労」に起因する事故が問題になることが少なくない現在、注目される事例である。なお、少し古いが、西宮労基署長(大阪淡路交通)事件、最1小判平成12・7・17(労判786号14頁)では、スキーバス運転に従事していた大型観光バス運転手に発症した高血圧性脳出血について業務起因性を肯定している。

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